摂取障害:中学~大学生


私は幼いころから、丈夫な子ではありませんでした。幼児期に右耳難聴(聴力が殆どなくなりました)、小学生で腎疾患、自家中毒は何度も繰り返しました。

 

幼い頃、身体を壊すと、両親が心配してくれるので、病気を苦に思ったことがありませんでした。むしろ私が病気になれば、両親の喧嘩が止んで意識が私に向くので病気を待っていたほどです。私の心の中で

 

病気=平和、愛される、両親が喧嘩を止めてくれる

 

そんな概念が出来上がっていました。その概念が潜在意識に居座って、私のやりたいことを邪魔していると気づいたのはだいぶ後のことです。

 

 

幼児期から小学校低学年の間は、運動が苦手で体育の授業も苦痛でした。そんな私が大きく変わったきっかけはスポーツを始めたことでした。

 

始めは親に無理やりやらされていた水泳ですが、人より泳げるようになると、自分に自信が持ているようになりました。小学校のバスケットクラブに勇気を出して入り、練習をがんばると足も段々早くなってきて、体育の授業が楽しくなり始めました。

 

完全に内にこもってマイナスの感情と戦っていた私ですが、スポーツに集中することで、心も身体も楽になりました。

 

中学校では柔道部に入部、がんばればがんばるほど必ず結果が出たので、稽古が楽しくて仕方ないのです。また大会に出れば必ず優勝、準優勝ができたので、両親がとても喜んでくれました。柔道は病気でいることよりも、私にとって価値がありました。すると身体も丈夫になって風邪すら引かなくなりました。

 

中々お友達とうまく関係を築けない私でしたが、スポーツを柔道を始めてからは、親友と呼べるかけがえのない友人がたくさんできました。(今現在で心友です)

 

 

中学校2年生の終わり頃から、高校からスポーツ推薦の話が来るようになりました。私本人も両親も有頂天でした。4校から推薦をいただき、結果私は当時県内で一番強かった高校を選んで進学しました。

 

進学した高校は、世界大会やオリンピック選手を輩出した全国でも屈指の強豪校でした。そんな高校に推薦で入学できるなんて…私は夢のようでした。

 

ところが現実は本当に厳しい世界でした。自分の実力なんてまだまだオリンピック選手の足元にも及ばない、単なる練習相手にしかならない、という状況でした。軍隊のような生活、家から学校まで往復約4時間、減量も怪我も私にとっては過酷でした。

 

すっかり勢いを失ってしまい、またちょうどその頃、父の仕事がうまくいかず家計は火の車、父の飲酒と暴力が更にひどくなりました。

 

父の私への暴力は日に日にひどくなり、私は高校を辞めて家を出ようと考えました。学校の先生や母親の説得で、中退はとどまりましたが、自宅を出て親戚の家に下宿させてもらい、そこから高校に通うことにしました。

 

その頃くらいから、摂取障害(過食嘔吐)と自傷行為がひどくなり始めました。摂取障害の引き金は柔道の減量でした。

 

身長が低かったので、私は軽量級で試合をするためにいつも試合前には減量していました。いつも食べることに気を付けていれば、試合前に減量せずに済んだのですが、部活を終えて帰宅し、誰もいない家の中で何かを食べることが私にとってのストレス解消だったのです。

 

試合前の減量時以外はお菓子など苦しくなるまで食べ続け、肥満に戻ることへの恐怖、減量の不安を抑えるために食べた後は嘔吐して安心を得るようにしていました。いつもぎりぎりまで好きなものを好きなだけ食べ続けるので、その分減量は過酷になります。思うように体重が落ちないと、下剤を使ったり、水分を摂らずにサウナに入ったりもしていました。

 

中学校の頃は、それでも結果が必ずついてきていたので、辛さを実感することはなかったのですが、高校で結果を出せないことで、更に過食嘔吐は悪化し、とても柔道を続けられる状態ではなくなってしまいました。

 

私は柔道を辞める決心をし、柔道に代わる自分の生きがいを探すために短大に進学しました。学費は奨学金を借り、生活費はバイトをいくつも掛け持ちして稼ぎ出しました。

 

ところがうつ病の症状も出始め、摂取障害も自傷行為もひどくなる一方でした。

 

その時の私を親身になって助けてくれた下宿先の伯父、バイト先のおばさん達、付き合っていた彼氏、親友…皆のおかげで、何とか乗り越えて短大を卒業しました。大学に編入しましたが、心も身体も経済的にも続かず、1年で退学してしまいました。

 

その後は東京と横浜のホテルで働きました。